フィクションばかりクローズアップされる赤穂藩主・浅野長矩、本当はどんな人だった?
歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第28回 ~浅野長矩~
歴史上の人物に迫るには様々なアプローチがあるが、ここでは四柱推命(しちゅうすいめい)という手法を用いて、歴史上の人物がどんな性格であり、なぜ成功したのか(失敗したのか)を読み解く。※四柱推命と用語の説明はページの最後をご覧ください。
12月14日は忠臣蔵の日(赤穂事件の日)。元禄15年12月14日、主君であった、播磨赤穂藩主・浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)の仇討ちをすべく、赤穂浪士47人が吉良邸に討ち入り、吉良上野介義央の首級を上げた。家臣にそこまで慕われる浅野長矩はどのような人物だったのだろうか?四柱推命鑑定を用いて、その性格に迫る。
※赤穂事件に関する詳細は、ページの最後をご覧ください。
浅野 長矩(あさの ながのり)(1667-1701)
生年月日:寛永7年8月11日
西暦1667年9月28日(グレゴリオ暦)
※「デジタル版 日本人名大辞典 +Plus」に記載されている生年月日を用いた。
それでは、上の命式表を見ながら鑑定していく。
・日柱の干支:「辛丑」(かのとうし)
これは「冬」の「宝石」を表す。美しく繊細なイメージ。感情的で傷つきやすい人物だったのだろうか。日柱に「辛丑」を持つ人物として、元フィギュアスケート選手の安藤美姫さんやHKT48のメンバー、指原莉乃さんらがいる。「辛」の人は、他の人よりも少し困難に直面する場面が多いが、磨けば磨くほど輝く宝石のように、努力をすればするほど輝けるタイプ。傷つきやすく苦労が多かったのだろうが、もう少し我慢すれば、宝石のように美しい宝石になれたかもしれない。亨年35、もったいない気がしてならない。